本所松坂町 泉岳寺は遠し [散策]
新年2日目は本所松坂町、忠臣蔵の舞台となった両国を散策することにしました。特に理由は無いんですけど、先日、古舘伊知郎氏の忠臣蔵番組を見たからかも。あの辺りは、忠臣蔵に限らず史跡がありますからね。歩いてるだけで何か見つかる予感がしていました。
で、まだまだ本所松坂町に辿り着く前に、道路に雀が二羽。一羽の動きが鈍い。危ないので保護しましたが、もう一羽の兄弟と一緒に飛んでいきました。片目を怪我していたようです。頑張れ!
まずは両国4丁目、両国公園から。ここは、勝海舟が生まれた男谷家があった場所です。公園の一角に、記念碑と資料が掲示してありました。因みに、墨田区緑4丁目には勝海舟が青年期を過ごした邸宅跡(今は保育園)もあります。
そして近くには共立学舎跡地。福沢諭吉の慶應義塾、中村正直の同人社、そして沢振八の共立学舎と東京の三大私塾と呼ばれていたそうです。慶應義塾以外、知らんかった…
そしてここ。今はマンションの玄関ですが、吉良邸の表玄関跡地です!
道路の位置は元禄年間と同じなんですね!吉良邸に入るかの如くマンションに入る、なんか興奮しますね。
そして、本所松坂町公園。これで当時の86分の1というから、吉良邸がいかに広い敷地であったかわかりますね。昭和の初めに地元の有志達が土地を購入し、残したとのことです。素晴らしい!
義央公御首級洗いの井戸。当時の井戸とのことです。井戸を埋める行為は忌み嫌われ避けられていますから、本当に江戸時代からのものだと思います。本所の町は東京大空襲で徹底的に壊滅しましたが、建物は木造でも穴と石の井戸は残ったようです。
余談ですが、本所カトリック教会は、ご覧の通り東京大空襲で石壁が融けました。墨田区は戦争の惨禍が残る町でもあります。
散策を続けます。
左の通りに本所松坂町公園があり、こちらのマンションのところが吉良邸裏門になります。元禄大地震とその後の火事の後、壊滅した吉良邸の真ん中に道路を通したようですね。
裏門跡地の案内板
隣の通りにも、史跡の案内がありました。例の如く今はマンションです。
義士の1人である前原伊助が諜報活動をしていた建物があったそうです。当時の吉良邸から道路を挟んで向かい側、目の前にいたとは、灯台下暗しですね。
そして、少し南下すると竪川一之橋があります。義士達が討ち入り後最初に渡った橋です。海運都市江戸の運河である竪川は江戸時代に開削され、一部は暗渠化されましたが大部分が残っています。
橋の向こう側は、すぐに隅田川です。隅田川から一つ目の橋なので、一之橋といいます。
一之橋から二之橋方向を見る。
今も船が係留されています。夕陽が綺麗。
橋の袂に石組みが残っていました。もしかして江戸時代のもの!?と興奮する吾輩。
泉岳寺まで歩きたいなと思いつつ、午後から活動したので時間が無さそうです。本日の忠臣蔵はここまでにして、次回はおまけのお話を。
で、まだまだ本所松坂町に辿り着く前に、道路に雀が二羽。一羽の動きが鈍い。危ないので保護しましたが、もう一羽の兄弟と一緒に飛んでいきました。片目を怪我していたようです。頑張れ!
まずは両国4丁目、両国公園から。ここは、勝海舟が生まれた男谷家があった場所です。公園の一角に、記念碑と資料が掲示してありました。因みに、墨田区緑4丁目には勝海舟が青年期を過ごした邸宅跡(今は保育園)もあります。
そして近くには共立学舎跡地。福沢諭吉の慶應義塾、中村正直の同人社、そして沢振八の共立学舎と東京の三大私塾と呼ばれていたそうです。慶應義塾以外、知らんかった…
そしてここ。今はマンションの玄関ですが、吉良邸の表玄関跡地です!
道路の位置は元禄年間と同じなんですね!吉良邸に入るかの如くマンションに入る、なんか興奮しますね。
そして、本所松坂町公園。これで当時の86分の1というから、吉良邸がいかに広い敷地であったかわかりますね。昭和の初めに地元の有志達が土地を購入し、残したとのことです。素晴らしい!
義央公御首級洗いの井戸。当時の井戸とのことです。井戸を埋める行為は忌み嫌われ避けられていますから、本当に江戸時代からのものだと思います。本所の町は東京大空襲で徹底的に壊滅しましたが、建物は木造でも穴と石の井戸は残ったようです。
余談ですが、本所カトリック教会は、ご覧の通り東京大空襲で石壁が融けました。墨田区は戦争の惨禍が残る町でもあります。
散策を続けます。
左の通りに本所松坂町公園があり、こちらのマンションのところが吉良邸裏門になります。元禄大地震とその後の火事の後、壊滅した吉良邸の真ん中に道路を通したようですね。
裏門跡地の案内板
隣の通りにも、史跡の案内がありました。例の如く今はマンションです。
義士の1人である前原伊助が諜報活動をしていた建物があったそうです。当時の吉良邸から道路を挟んで向かい側、目の前にいたとは、灯台下暗しですね。
そして、少し南下すると竪川一之橋があります。義士達が討ち入り後最初に渡った橋です。海運都市江戸の運河である竪川は江戸時代に開削され、一部は暗渠化されましたが大部分が残っています。
橋の向こう側は、すぐに隅田川です。隅田川から一つ目の橋なので、一之橋といいます。
一之橋から二之橋方向を見る。
今も船が係留されています。夕陽が綺麗。
橋の袂に石組みが残っていました。もしかして江戸時代のもの!?と興奮する吾輩。
泉岳寺まで歩きたいなと思いつつ、午後から活動したので時間が無さそうです。本日の忠臣蔵はここまでにして、次回はおまけのお話を。
忠臣蔵の時代、良いですね。勉強になりました。
タミヤ模型から大石内蔵助などのフィギュアのプラモデルが再販になったので、記事を書こうとして年が明けてしまいました(笑)
by ワンモア (2017-01-03 19:42)
タミヤ模型が大石内蔵助を出してるんですか!?記事をお待ちしています。
by 下町の忠犬 吾号 (2017-01-04 23:26)